人のせいにしてはいけません
楽しく愉快な日記を描きたい!
だけど、いざ書いてみるとなんだこれは幼稚な自己啓発じゃあないか。
小川は最近病み気味のスランプなのだった!
自分を知って欲しい時期なのか、辛い時期なのか、変な自分語りが止まらない。
それならいっそ1度全部語ってしまおうということで、今回は小川史。
基本的に病んだことしか書いてないけど、いわゆる毒抜きみたいなものなので真面目に読まなくて大丈夫です!
おらの人生の言い訳を聞いてくれ!!
1997年9月1日
小川と小川の間の子として小川産まれる!
この時小川は、七歩歩いて右手で天を指し、左手で地をさして「おんぎゃあ」と言った
とか言わないとか。
愛情たっぷりに育てられたかわいい小川。
幼稚園での1番のモテモテエピソードは
先生にお気に入りの手袋を褒められ、「かわいいね〜先生にも貸して〜」と言われたことだ。
ちなみに貸したら、先生が手袋を付けようとして破かれたのでわいは大泣きした。
そんなかわいい小川なのだが、幼稚園の頃からちょっとした悩みがあった……
「サッカーやりたくねぇ」
この悩みは中学を卒業するまで続くのだが、
小川は自発的にサッカーをしている訳ではなかったのだった……
小川の父親には父親がいなかった。
父親は学生の頃1度不真面目になったらしく、それを凄い後悔していて
「あの頃俺に父親がいてきちんと道を示していてくれたらもっと上に行けた!この無念は俺の遺伝子をもつ息子に引き継ぐ!」
といった感じで、やたらと息子にレールを引きたがっていたのだ。
父親は、自分の人間性とかその他もろもろサッカーで学んだので同じように育って欲しかったらしい……
そんな訳でサッカーをやらされていたのだが
小川にはどうも闘志や負けん気が足りなかったのだ
(これはやらされてたせいなのか性分が原因なのかはわからん)
息子がレールから逸れていることに気づいた父親は焦る!そしてどうにかしようとしたわけで、
ここから小川の子供ながらの地獄の始まりだった。
小学生の頃になると、サッカーの試合が終わると毎回車の助手席に座らされ試合の話になるのだが…
「なんだあのテロテロしたプレイは!!」
「俺に恥をかかせる気か!!」
と毎回始まり
唾を飛ばされ掴まれて、時には車を途中で路肩に止めて殴られたりしていた。
家に帰っても暴言は止まず、
「サッカーができないやつは何やっても役に立たないカスだ」とか
「そんなんだからお前は誰にも好かれないんだ」
「コミュニケーションの取れないやつは仕事でも使えない」
とかまぁそんなことを一緒にいる時間中ずっと言われ続けたのだった。
個人的に1番辛かったのは
小学生の時のクラブチームで私がグラウンドの壁に「(チーム名)敗北」とラクガキしたというデマが流されて、まぁ実際のところほんとに書いてないのだが。
父親は怒るとはその事を持ち出して「あれも実はお前がやったんだろ!」と言ってきて
それが普通にめっちゃ嫌だった。
当時小学生だった自分も子供ながらに病んだし、
「このままじゃ自分もおかしくなりそうだから、父親を殺すか自殺するしかない」と、密かに考えていたが、結局実行しなかった。
中学生くらいになると父親を殺すことは諦め、自分が死ぬことばかり考えるようになっていた。
しかし、父親といる以外の時間は楽しかったし、死ぬと言っても「今はまだ大丈夫だけど、生きるのが死ぬのより辛くなったらすぐ死のう」と思ってただけで、実際にまだ死ぬ気はなかった。
ただこの頃になると父親の暴言のせいか、
「何も役に立たないクズなのだとしたら自分はなんで勉強しなきゃいけないんだ」みたいな思考に若干偏ってきて、自尊心0人間になっていたのも確か。
ちなみにこの頃は家庭環境も悪く、
「息子がダメになったのは母親のせいだ」と思ってる父親と、「父親のせいだ」と思ってる母親が毎日ものすごい大声で喧嘩をしていた。
父親は嫌いだったけど、根幹にあるのは私に立派な人になって欲しいという気持ちと、それが上手くいかない苛立ちでから回っているのだと知っていたから僕は
「責められないところもあるよね」と思いながら毎日、生きるのが死ぬのより辛いかどうかを天秤にかけて生きていたのだった。
ちなみに人間は辛い時、「自分はなんのために生きるんだろう」という考えに陥りがちだけど、そんなもの答えなんてないわけであって、
そういうことを考えてしまう原因は現実が辛いことにあるので、「どうしたら現実は辛くなくなるんだろう」という方を一生懸命考えた方がいいと私は思う。
まぁそんなこんなで高校には入学できたんだけど、この頃が1番沈んでいて。
別に誰かに相談したところで親と別に住める訳でもないし、誰にも言ったことはなかったけれど、ずっと頭の中では天秤で量りを続けていたのでした。
この頃は全てに無気力で、勉強とかいう未来への投資はする気になれず、
ただモラトリアムを、残りの余生を楽に楽しく過ごしていくかぁ……
みたいな考えで何もしない日々を送っていたのだった。
まぁいわゆる消極的な自殺って感じですなぁ。
ちなみに、「なんでもうすぐ死ぬ気なのに歯医者なんか行かなきゃいけないんだ!」と思って、虫歯を放置してたら前歯が無くなりました。
後悔してます。
高校では勉強もせずにそのまま大学に入学はできたのですが。
勉強しないで入れた大学ということもあり、入学当初に病んでて誰にも話しかけなかったせいで友達ができず……
ただ、低ランの大学に入ったことが功を奏したのか、妹が成績優秀だったおかげか、
大学生になってからは父親が妹に目をつけ、私に見切りをつけてなにも言ってこなくなったのでした
おかげで私は大学でモリモリと精神を回復していくのでした。ただ、学科に友達はできなかったけど……!
そして大学3年生の4月に転機が訪れる……
彼女ができる+一人暮らしが始まる!
20年間「なんのために生きるんだろう」と問いかけた小川の自分なりの答えは「幸せという感情をより多く享受するため」というものだった。
(別に関係ないけど、私の言う幸せっていうのは自分の幸せもそうだけど、他人の幸せを幸せと感じ取れるのはもっと幸せみたいな感じの定義だから、別にそんなに利己的な考えではないはず!)
とにかく彼女というのは私にとって幸せを具現化したものみたいにイメージしてたから、
一人暮らしで親から開放されると相まってその時の天孫はアゲアゲのアゲだったのだ!
比喩とかじゃなく「今日から俺は生まれ変わる」くらいの気分だったわけなのだ!
そして!
1週間もせずに振られたのだった!
一人暮らしとは寂しいものよ
自分から誰かに連絡を取らなければ一生このまま独りかもしれない
一人暮らしってだけで夜になると泣いてる後輩もいたものだ。
アゲアゲのアゲだった小川のテンションはそのまま鋭角に曲がって地の底に落ちていったのだった。
漫画に書いてあったことだから本当のことかわからないけど、
感情の受容体というのは穴が空いてはじめてその感情を感じることができるらしい。
例えば、楽しいという受容体に穴が開かないと一生笑わない人だっているのだ。
つまり何が言いたいかと言うと、小川はこの時、孤独感の受容体にガッポリとドデカい穴が空いてしまったのだ。
20年間、寂しいという感情と無縁だった小川が突然寂しくなり始めた。
部屋中の孤独がギューッと押し寄せてきてキューっとなるのだ。
未練がなくなった後でも、
なんで寂しいか理由も全く分からないのにに夜になると毎晩泣いた。
理由はほんとにわからないのに朝日が昇るまで寂しすぎて寝れないので毎日朝8時に寝て生活はボロボロになったし、
なんとそれは1年以上続いたのだった……
小川は寂しかったのでネットで電話相手を探し、そのまま彼女を作った。
しかし、大学にもランクがあるように人間にだってランクがある。
自分のことしか考えないやつの周りには自分のことしか考えないようなやつしか現れないのだ。これは人間カガミの法則である。(小川命名)
ネットで安易な恋愛に走ろうとした私の前に現れたのは、それはもう生まれてこの方人を思いやったことなんてないんじゃないかと思うようなちっとも好きになれないやつだった訳だが、それでも離れられなかったのだ
さんざん依存し、疲れ果てた時にふと気づいたら小川は、
人のことを思いやれないダメ人間になっていたのだった。
私は思った……
「これは人間カガミの法則だ!!」
まぁそもそも、自分のことで手一杯な寂しいやつは他の人の幸せを考える余裕なんてないので当たり前なのである。
今はその人とは別れたし1人でアパートで静かにしているのだけど。
このダメダメ期間の間に、小川は2年留年した。
原因はいくつもある
学科に友達が居ないのもそうだし、履修登録も忘れたし、夜寝れないのもそうだし、サボり癖が抜けなかったのも理由だった。
でもここまで書いて小川は気づいてしまったのだ
小川はなにか原因があってできないんじゃなくて、ただなにもしてないだけでできない原因を後から勝手につけてるんじゃないのか……?と
本気になればきっと小学生の頃も今も、何かできたんじゃないの……?と
なんかそれを考えて1人で悲しくなってたって話でした。
2年分の学費と、2本の前歯を失ったけどまだまだがんばろうと思いました。
みんなもがんばれ
[完]